今江克隆のルアーニュースクラブR「ABU創業100周年!ABUと私、今江克隆のABU FOR LIFE」の巻 第1042回
さて、今年はABU創業100周年。
私にとってABUは、今も昔もバスライフそのもの。
今の若い人には分からない部分も多いかもしれないが、日本のバスフィッシング黎明期からずっとバス釣りに関る人たちにとって、ABUは特別な存在なのである。
今週は、そんなABUと私、今江克隆との関りに、ABU FOR LIFEを書いてみたいと思う。
ABUとの出会い
私がバス釣りを始めたのが、今から45年前、小学6年生の頃だが、ABUとの出会いも小学6年生の頃だった。
大阪府・豊中のインターパレス大阪というルアー&フライ専門店に自転車で通っていたが、2Fの階段を上がった最初の右横側ガラス陳列棚にABUがずらりと並んでいた。
当時12歳の私にとって、その光景は今も目に焼き付いており、今でいう高級腕時計専門店で金無垢のロレックスがずらりと並んでいるようなイメージだった。
その中でも特にさんぜんと輝くリールがあった。
青銀色に輝く「アンバサダー2500C」、そして漆黒に赤のサムバーがバエまくる「5600C」赤ベロである。
当時国産リールでは「ミリオネア」があり、数年後には「バンタム」が登場するのだが、ミリオネアで当時5,000円、バンタムでも1万円前後だったと記憶している。
その中でダントツの高額だった38,000円の「ABU5600C」は、まさに少年今江にとって手の届かない、当時まだ存在すら知らなかったバスボート的?羨望と憧れの“バスフィッシングアイコン”だったのである。
ABUを使ってているおじさんアングラーを野池で見かけると、腕の善し悪し以前に「すげぇ!」と羨望の眼差しで見てしまうほど、ABUを所有するステイタスは強烈なものだった。
その裏には50年使える堅牢性と、精密機器の本場、北欧スウェーデン&スイス神話があった。
40を超えるバスアングラーにとっては、ABUはバスフィッシングステータスの象徴であり、同時に「ルアーフィッシングの本場=北欧」だったのである。
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