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琵琶湖リサーチ最終回②

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2000年8月14日号のウイード図
これからウイードが広がるという時代。まだ六本柱はウイードに覆われおらず、2010年前後のウイード全盛時代を迎える前の状態

さて、釣り場、釣りの内容もこの19年で大きく変わりました。連載がはじまった2000年はウイードが広がりつつある時代でした。
90年代の前半はウイードがない時代だったので、ウイードというと赤野井、あとは西岸の3㍍ラインぐらいでした。80年代から90年代は基本アシのキワとマンメイドという時代でした。琵琶湖に行ったら西岸のアシを釣るというのが常識的な時代で、沖の魚礁などはごくひと握りのエキスパートだけが知る時代でした。
マンメイドといえば当時はマリーナ、琵琶湖大橋。今となっては問題となり、マリーナなどの話し合いにより禁止(自粛)としている場所での釣りがメインでしたが、当時は多くのアングラーが釣りをしていました。これも時代の流れです。
しかし、1994年のマイナス123㌢という大減水によってウイードの光合成がさらに促進されてこの2000年代のウイード全盛時代となりました。
当時からボートが増えはじめて、単純なアシのキワやマンメイドだけでは釣果が伸びなくなってきており、ウイードの釣りが主役となってきたのです。
最初はディープホールから北山田、貝捨て場にかけて広がり、2000年から2003年にかけて六本柱の南までが完全にウイードエリアとなりました。90年代の前半は下物はフットボールジグのできる場所だったものが、浚渫工事の終了にともない南湖内の透明度が上がり、光合成が促進されることによりウイードは下物内にも繁茂するようになりました。

そして、2008年ぐらいから琵琶湖南湖はすべてのエリアがウイードに覆われるようになりました。その結果、アングラーの狙いはマンメイドからウイードへ。
ウイードの中に入ったバスを狙うための春のスイミングジグ、夏のヘビーテキサスが生まれ、通称ヘビテキと呼ばれ1㌉のテキサスシンカーが飛ぶように売れるようになりました。それに付随して琵琶湖用のパワーゲームタックルが爆発的に売れて、各社が再び琵琶湖市場を意識するようになった時代です。
こうしたゲームで60㌢UPの通称ロクマルが連日でるようになると、その情報は当時普及しだしたインターネットからWEBページ発信され、それがブログに変わり、さらに受け手側はPCへ、その後は携帯電話のネット通信がはじまり、スマートフォンへと情報の拡散速度が速まるにつれて湖上は、同じ釣りをするアングラーで大船団となりだしました。
それを支えていたのは2000年代前半から2010年代中盤までのウイードの広がりだったのです。
しかし、その時代も終焉を告げようとしています。藻刈り、巨大台風、異常気象と続き、琵琶湖南湖のウイードは減少の一途を辿り、ついに浜大津からディープホール、六本柱にかけてのウイードエリアは全滅しました。
再び80年代から90年代前半のウイード状態に戻って、釣りのパターンは元に戻るのでしょうか? ウイードのあった時代からはじめたアングラーにとってははじめての出来事になるでしょう。

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