今江克隆のルアーニュースクラブR「どうなる?ライブスコープ規制!どうなる?バスフィッシングトーナメント!」の巻 第1211回
スポーツとしての競技の深化
自分は、B.A.S.S.の規制目的の大きな部分は、「より、スポーツとしての競技の深化」のように思う。
それはB.A.S.S.のライブ配信の視聴者数が、当初はライブスコープ画面をずっと表示するスタイルで好評を博したが、それが当たり前になってくるとライブ視聴者がガクッと減ったと言う話を耳にしたことがある。
確かにモニタ越しに延々2画面でライブスコープ画面とそれをガン見するプロの背中を見せられても、まるでテレビゲームを見ている感覚で、本来の釣りの魅力、スポーツ感覚とはかけ離れたものになるからなのかもしれない…。
そして、それ以上に多くのアングラーが勘違いしていることがある。
それは規制が「ライブスコープが主力のプロにはハンディ、アナログスタイルのプロにはアドバンテージになる」という考えだ。
実は、これは全く逆なのだ。
その最大の要因が・2の「端子は1個、エレキシャフト設置のみ」という規制である。
すなわちこれは、同時に「ローテーターも使えず」、さらに「スポットロック機能も使えなくなる」ことを意味する。
裏を返せば、どんなにフィールドが荒れていようとも、ライブスコープを使う時はひたすらエレキを踏み続けてライブスコープ端子を回し、揺れるボート上でわずか15度しかない狭い発射角の中にバスを捉え続け、蚊ほどの大きさのルアーと共に追い続ける、圧倒的な集中力と脚力(フィジカル)が、より顕著化するということなのだ。
だが、これはライブスコープの達人と呼ばれるプロにとっては、日本ですらもう2年も前から当たり前の技術なのである。
藤田京弥プロ、青木唯プロも、日本でもアメリカでも、どんなに荒れていてもローテーターすら使っていないし、端子もエレキシャフトの1個で存分にライブをこなしているのだ。
藤田京弥プロは、2023年12月の対談で、ライブスコープを使いこなす最大のシークレットは「執念と根性です」と明かした時に、自分がライブも結局、究極のフィジカルとメンタルの融合であり、種も仕掛けもない肉体の技術なのだと思ったことに符合するのだ。
それほど、想像以上にライブスコープでバスとルアーを同時にモニターに捉え続ける作業は、アナログ作業であり、アングラーの肉体にバスフィッシング史上過去最大といってもよい、負荷を掛けるものなのである。
規制の狙いは?
すなわち、B.A.S.S.のライブスコープ規制は、バスの資源枯渇保護などの観点ではなく、純粋にスポーツ競技としてのフィジカル差を明確にするための規制だと、自分は考えている。
これはF-1等のモータースポーツのエンジンやシャーシー規制に通じる部分があるように思う。
マシンの性能を均等化し、よりドライバーの能力を先鋭化させるための規制なのだ。
結局、もしB.A.S.S.のライブスコープ規制を日本が模倣した場合、少なくとも現在のライブスコープの達人には、さほど何も大きな影響もないだろう。
アナログスタイルの復権にも、影響はほとんどなく、むしろ私のような体力の低下を装備で補ってきた高齢プロ、脚力と視力に不安を持つ40歳代、50歳代の中高年プロには多大な影響を与えてしまい、ライブスコープの達人たちとの差は、さらに開くことは間違いないだろう。
22インチモニターを装備すれば、老眼や近視をカバーすることはできるが、若者であれば12インチでも16インチでも、LVS32でも34でも62でも、「できるヤツにはできる、できないヤツにはできない」テクニックなのである。
規制の結果
規制の結果、トーナメントのライブスコープテクニックはさらに先鋭化され、これからの若手は、さらにライブスコープ技術を磨くことが必須になるだろう。
それがバスの資源枯渇に貢献するのかどうか、自分には疑問である。
ナゼならバスは非常に賢い魚である。
すでにライブスコープの音波の接近を覚え、並のアプローチで喰わなくなったことは、TOP50プロなら全員が体感しているだろう。
確かにライブスコープの登場と、それ以前では明確な差が出た。
ライブスコープは、間違いなく現代バスフィッシングのゲームチェンジャーになった。
しかし、厳し過ぎる日本のフィールド環境を生き抜くバスの生存本能は、やがてそれをも上回り、ライブスコープすらそう長くはゲームチェンジャーとしての地位を維持はできないだろうと自分は思っている。
なぜなら、大谷翔平ほどの傑出した才能も肉体も、ライブスコープ操作には必要がないからだ。
ある意味、その差はいずれ簡単に埋まってしまうだろう。
その時、結局は狩猟本能への原点回帰、アナログスタイルのアングラーにも、必ずチャンスは回ってくると思っている。