今江克隆のルアーニュースクラブR「釣れない理由、釣れるプロと釣れないプロの差は?〜TOP50開幕戦・七色ダムレポート〜」の巻 第1188回
2024年、TOP50開幕戦となる第一戦七色ダム(奈良県)が終わった。
はじめに、今週のこの記事には、みなさんの役に立つことや参考になることは何もない。「言い訳以下」の、書きたくもないし、読んでもほしくもない、読む価値すらない内容である。
事実、自分の最終順位すら、今もまだ見てはいない…。
だが、「ルアーニュースクラブR」は、30年以上毎週どんな時でも書き続けた自分のバスライフ・人生日記でもあり、何十年もずっと毎週欠かさず読んでくれた読者のみなさんに、そして応援してきてくれたファンの方々に対し、この開幕戦の2週間、自分が何を考え、どう戦い、どのような結果になり、今何を思うか、この場を借りて伝え続ける責任が自分にはあると思う。
なので、今の自分に、そしてTOP50の現状に興味のない方は、今回の記事はここから読まずにスルーしてほしいと思う。
ライブサイトの練度を上げる
2024年開幕戦七色ダムのプリプラクティスは7日間、今回のプリプラでは、早春にシャローに差す前にコンタクトスポットとなりうる沖の立木、差し場に近い垂直系岩盤に浮くプリのメスを、ライブスコープ(ライブソナー)で見つけてサイトフィッシングで仕留める練習に、全ての時間を費やした。
試合は3週間後ということもあり、雰囲気のある場所でバスとルアーをモニター画面にずっと捉え続けるエレキ操作と、着水をモニターで見るノールックキャスト精度の練習を徹底した。
そして、試合直前に開催されるチャプター奈良(七色ダム)に参戦することで、直前練習を3日間確保し、直前練習初日をライブサイト(フィッシング)で本気で釣り込み、チャプター本番ではあえてのリアルサイト(フィッシング)一本勝負、最終日にその結果からどちらを選ぶか決める直前練習プランを組んだ。
裏目
だが、その徹底した練習が全て裏目に出た。
昨年から練習後の夜、深夜の足の攣(つ)りに悩まされていたが、プリプラ終盤の深夜、左太もも裏、大腿二頭筋が何度も激しく攣(つ)ってしまい、翌日から左足でエレキを回しライブスコープでバスとルアーを追うたびボート上で痙攣(けいれん)状態になった。
それでも練習を続け、プリプラ終了後に病院に直行することになった。
昨年以上のライブサイト戦になる
実は自分は41歳の時に甲状腺癌を患い、甲状腺をほぼ全摘出しており、身体の攣りは加齢に伴う甲状腺機能障害の最たるもので、薬で何とかかわしてきた厄介な後遺症である。
その薬が、今回はついに効かなくなっていた。
帰阪後、すがる想いでプロスポーツ選手に紹介してもらった鍼灸整骨院に駆け込んで、本戦に向かう2日前には一時的に回復した?かに思えた。
そして本戦出発当日朝、思わぬプライベートのアクシデントが起こり、急きょ七色チャプター参戦をキャンセルし、出発も1日遅らせざるを得なくなった。
39年のキャリアで直前練習をキャンセルしたのは今回初めてで、ここで予定が狂った。
なんとか次の日の深夜に七色ダム入りはできたが、チャプター戦に参戦しなかったことで、次の日の出船時間がルール上ディレイスタートとなり、練習時間が短縮された。
その1日遅れの焦りがあったのだろうか、2日間でリアルサイトとライブサイトの両方を全域全開で行う必死の直前練習となった。
この日は、リアルサイトでキロフィッシュを1尾だけ仕留めたが、見えるがバスは多くはなく、水温がプリプラと変わらない9度前後であったことから、リアルサイト・オンリーでは、まだ相当厳しいと予想できた。
そのため、2日目はライブサイトをメインに行ったところ、垂直岩盤中層の立木に浮くプリのバスを見つけ、狙い通り釣ることができた。
他のエリアでも、明らかにバスと思える姿をモニターで比較的高確率で捉えることができたため、「これは昨年以上のライブサイト戦になるな」と確信した。
不安はあったが、ライブソナーで見つけられるバスがリアルサイトよりはるかに多かったことで、試合本戦はライブサイト中心の展開で行くことを決めた。
まさかの
だが、試合前日深夜1時、すべてを変えてしまうまさかのアクシデントが起こった。
再び左足大腿二頭筋が深夜に激しい攣り、痛みで目が瞬時に覚めた。
緊急対応で処方薬を頓服として飲み、そばに置いていたロープを足裏に掛けて引っ張り、大腿筋が縮み切ってロックしないよう膝を延ばす処置を必死に行ったが、治まる様子がない。
恐怖を感じるほどの激痛を伴う筋痙攣は、30分以上続いた。
この痙攣は、その後も朝までに3度も繰り返し、眠ることも全くできず、左足は立っているのが精いっぱいの状況になっていた…。
試合1日目
そして試合当日、ライブソナーを付けたエレキを常時足で回してバスを追う操作は、もう不可能になっていた。
「バスを釣る前に足が攣る」、なんとも皮肉なダジャレだが、あれほど練習したライブサイトを完全に諦めなければ試合棄権もありうる状態に、やむを得ずエレキ操作の負担が少ない北山筋最上流と西の川上流のリアルサイトに切り替えた。
まだ足が生きていた朝イチに1,200gを仕留めたが、その後、足は死んだ…。
極力リモコンを使ってエレキ操作し、騙し騙しサイトを続けたが、昨年優勝の河野(正彦)プロですら、サイトで1尾が精いっぱいの状況、その1尾が自分にとって精いっぱいの1尾になった。
そして初日の夜、また左太もも裏の激しい痙攣は横になるたびに幾度も起こり、またほとんど寝ることができなかった。
足の攣りは横になったり、足の筋肉の体重負荷がなくなる深夜になったりすると、突然前触れなく電気ショックのように発生する。
瞬時にかかとがお尻に引っ付くほどの大腿二頭筋の収縮で、完全にロックした足を無理やり力ずくで伸ばすと「ブツっ」という音とともに肉離れを起こす。
昔、同じ状況で三ヶ月近く足を引きずった経験をしているだけに恐怖が先立ち、その夜はほとんど壁に手をついて立ったまま朝まで過ごした…。
試合2日目
試合2日目は、朝イチから足に負担をかけないよう、風の影響を受けない西の川でのサイト一本で挑んだ。
本来、最も狙っていた西の川と本湖の合流付近は、ライブサイトをする若者が船団状態で、見に行くたびにビッグフィッシュを釣っていたが、参戦する余力は全くなかった。
結果は、ノーフィッシュ予選落ち。
集中力を完全に欠き、リモコンでエレキを操船し、座ってビッグベイトを雑に投げるのが正直、精いっぱいだった。
本当の最悪
だが、本当の最悪は、その予選落ちの深夜に来た。
左足をずっと庇い続けた右足ふくらはぎに電気ショックを受けたかのような激痛で目が覚め、必死に伸ばそうとするが今度は左太ももが攣り始め、立つに立てない。
まだ耐えられる右足でなんとか立とうとした時、さらにひどい激痛が右足ふくらはぎに走った。
その朝、もはや両足を壊してしまった自分はまともに歩けず、病院に向かうため本部の許可を得て表彰式を早退することになった。
右足ふくらはぎは、やはり「肉離れ」だった。
幸い軽度だったが、当面釣りができる状態ではなくなっていた。
自分の身体に失望した
今の自分の気持ちを率直に伝えるとすれば、それは「限界を感じた」ではなく「自分の身体に失望した」というのが、正しい表現だと思う。
「ライブサイトは根性です」、「ライブサイトが一番キツい」、そう自分に教えてくれた藤田京弥プロの言葉が本当に全てを語っていたと思う。
根性と執念ならまだ負けてはいないと思い、必死でこの冬を、今試合の全練習時間を費やしたライブサイトで、結果、壊されたのは自分の足だった。
京弥プロがローテーターを使っていないことが気になって対談で質問したが、皆が同じGARMINを使いながらも結果に大差がつく最大の要因は、「どれだけバスを、どれだけルアーを、そのモニターに常に捉え続けられるか」、皮肉にも極めてアナログな操作の差なのだ。
360度ローテーターでは、ワカサギに付くフラットのスモールマウスは捉えられても、急深なリザーバーで無限に存在する立木や垂直岩盤の中層、オーバーハングの下を気まぐれに回遊するバスは、エレキに付いたライブ端子で常に追い続けなければすぐに見失う。
まさに、目でバスを見失っては話にならないリアルサイトと全く同じことを、エレキを常時回して続け、わずか数度の発射角しかない音波をバス、もしくはルアーに確実に当て続け、モニターに映し出せるかどうかが、その差に繋がるのだ。
まして荒れたアメリカの湖で、スポットロックも使わずエレキで延々とバスとルアーを写し続ける彼らの強さの源は、間違いなく「フィジカル」の強さにあるのだ。
もはや、アメリカのトーナメントのTOPクラスでは、ミノー(プラグ)やチャター(ベイト系)まで、着水からモニターに捉え続け、追ってきたバスを見ながらアクションを加え喰わせるのは当たり前なのだ。
日本でも古くから名の知れた著名ベテランアングラーが、聞いたことすらない新人アングラーに勝てない今のアメリカ事情も、皮肉なことに身をもって感じる結果になった。
ひと冬で劇的に向上
自分が自分に失望したのは、現状ではライブサイトをやればやるほど、自分の身体が壊れてしまう情けなさだ。
もう、それは釣りの練習以前の問題で、もはや60歳の自分には一朝一夕には解決できない失望感が、この記事を書いた理由でもある。
同時に、今回のTOP50戦を経て、ここまでライブサイトの練習を必死でしてきた自分と若手プロ達のライブサイト技術が一冬で絶望的なほど開いていたことに愕然とした。
わずか1尾しか釣れなかった自分に比べ、今試合は結果で見れば「爆釣」に近いハイスコアな結果であり、絶望的なほどに「釣れるプロ」と「釣れないプロ」に差がついてしまったのだ。
自分が試合中に観た限り、TOP50プロの4/5(約80%)は、ライブサイトを主戦力として戦っていたと思う。
それほどに若手プロのライブサイト技術の底上げが、ひと冬で劇的に向上していたことはショックだった。
ライブサイト無しは完全になくなった…
はたして自分の足が壊れなかったとしても、どこまで互角に戦えたかは今は分からない。
ただ、少なくともいえることは、次の第二戦弥栄湖も間違いなくライブサイト戦になるということだ。
いや、現代の最強トーナメントは、もはや日米ともにライブサイト無しで生き残れるレベルでは完全になくなった、と断言できる。
逆にライブサイトを誰よりも最強にできるプロは、日本でもアメリカでも湖を問わず最強舞台に即通用する可能性があるとも、いえるかもしれない。
自分の足が完治するには、2カ月はかかるだろう。
第2戦までギリギリ間に合うが、そこでライブサイトをメインにまた練習し戦えば、再び今回と同じ繰り返しになる可能性は極めて高い。
それをやれる装備と技術、それを完遂する気力も執念もある。
だが、2カ月で5日間ライブサイトに耐えきれるだけの両脚を鍛え直せるかは、根本的に甲状腺障害を持つ自分には現実的にはかなり厳しいかもしれない。
あの、寝たら襲ってくる恐怖に怯えながら、深夜に激痛に耐え立ち尽くす恐怖を克服できるのか、もはやプロスポーツ競技者としての自分の最大の強敵は、自分自身の「肉体老化」との戦いになった。
「限界」ではなく、たかが「失望」
だが、「無理をするな」といわれて「はい、わかりました」と答えるほど、素直な性格ではない。
肉体は、腰や膝の故障もあり、元々平均以下の自分が最高齢プロとしてここまで現役でやってこれたのは、ひとえに体の頑丈さより気持ちのタフさ、トーナメントに向き合う姿勢のタフさだと思っている。
30代の腰の激痛、40代の癌も克服してきた自分にとって、足の弱体程度、不治の病ではない。
鍛え直すのに普通以上の時間はかかるかもしれないが、これで諦めて引退するほど軟弱ではない。
還暦60歳で迎える今シーズン、若手プロになく、自分だけが持つ強みは惜しむことなく、ここからは使えるモノは、テーピングでもドーピングでも、なんでも全部使わせてもらう。(ドーピングでバスは釣れないと思うが笑)
次の弥栄戦をしのげば、霞ケ浦水系での2戦はライブサイトはまず必要ないし、桧原湖のスモール戦ならライブ戦でも互角に戦える。
今回は「限界」ではなく、たかが「失望」、完全に絶望しない限り希望はある。
まだ「39年分の1戦が」終わっただけに過ぎない。
こうして、今江克隆60周年は、苦難の幕開けとなったが、悔しくても、辛くても、ここに全てをさらし、記し残すことで昔も今も自分は前に進めてきた気がする。
何の価値もない愚痴と言い訳を最後まで読んでいただいた読者の皆様に感謝します。