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今江克隆のルアーニュースクラブR「他人の優勝を初めて100%うれしいと思えた理由〜23歳の挑戦!今江克隆と河野正彦〜」の巻 第1144回

連載:今江克隆のルアーニュースクラブR
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どうしたいねん?

だが、昨年のTOP50シリーズ閉幕後、後継者としての下積みをはじめた河野に、再びまさかの出来事が降りかかる。

それはオールスター戦の練習で利根川水系にともに出ていた時、河野に掛かってき一本の電話からはじまった。

その電話は、協会からのまさかの次年度TOP50シリーズ参戦の打診だった。

昨年、年間総合49位に終わった河野が、およそ20人の参戦辞退者がでたことで前代未聞の48位でTOP50繰り上げ残留権が回ってきたのだ。

この電話を真横で聞いていて、瞬時に船上の空気が変わった。

お互いが今後の計画に大きな障害がでることを悟っていたからだ。

河野の下積みは、TOP50脱落が前提であり、自分が60歳となる2024年、もしくは2025年にTOP50再参戦権獲得を目標に一からやり直す前提で進めていたからだ。

河野が2023年のTOP50参戦することは、自分にとって全てのハンディにしかならない。

7月まで免許のない河野の参戦段取りはしなければならず、練習で全てを見せていることも自分にとってマイナスになりかねない。

仕事も中途半端になりかねない……。

「どうしたいねん」と聞いた自分の質問に、河野が即答できるわけもなかった。

でると答えれば敵同士となり、修行も撤回になる。

だが、でたいといっても運転免許もなければ仕事もない。

厳しい参戦資格が喉から手がでるほどほしい河野の気持ちを考えれば、自分もそう聞くしか他にいいようがなかった。

オールスターの練習に同船し、バスを手にして喜ぶ河野。だが、本気の練習で選手同士が同船するということは、楽しいことばかりではない。遊びでない以上、ボート上が殺伐とした針のむしろと化すこともある

無言の三時間

船上で3時間近く無言の時間が続いた。

オールスター戦直前だったが、凍てつく空気の中、練習になるはずもなかった。

鈍感力が才能の河野ですら、この時の空気に動揺は隠せなかった。

この無言の3時間、自分は河野に「どう答えてほしい」のかを考えていた。

何も答えず黙り込む河野を、ここで自分が切るべきか、それとも全部抱えて面倒を見てやるべきか。

ただ、23歳の若者にこの問いの答えをだすことは、どちらを選んでも究極の選択だと思った。

実は、自分の中で河野に答えてほしい答えは、かなり早くから決まっていた。

その答えを3時間近く待ったのだが、河野はひたすら沈黙したままだった。

自分が河野に答えてほしかった答え、それは「両方全力でやって結果を出しますから、TOP50に出たいです」だった。

23歳の今江克隆と23歳の河野正彦

この時、脳裏には自分が河野と同じ23歳の時、1年弱無職を続けたバスプロ生活を諦め、商社に再就職する時の面接と入社直後の出来事が頭をよぎっていた。

その面接で、自分は「バスプロ人生をキッパリ諦めて、商社マンとして全力で頑張ります」と断言し、商社の中途採用試験に奇跡的に受かった。

だが、新人歓迎会が終わり泥酔した週末、バスプロを辞めるむねを山下会長に伝えるために、最後の試合として後輩に運転していってもらって練習ナシで参加したJBTA河口湖戦で、最初の一投で奇跡的なビッグフィッシュを釣ってしまい、まさかの河口湖初優勝をしてしまうことになる。

未練が残った。

やっぱり辞めたくない。

そんな気持ちを察してくれたのが当時の上司であり、のちに今も恩師として親交のある営業課長だった。

「そんなにやりたいなら辞めんでも両方やったらええやろ。両方とも結果出したら誰も何もいわんだろ」

この一言が自分の人生を変えた一言といっても過言ではない。

その人生を変えた一言を受け、第2戦JBTA琵琶湖戦に出た自分は、そこで連勝優勝してしまう。

この琵琶湖での優勝が、バスプロと商社マンの二足の草鞋を履く覚悟を決めさせた運命の1戦となった。

新卒で入った会社を辞め、バスプロを目指したが断念。トーナメントを辞める覚悟をハッキリ示したことで、商社に入社することができた。皮肉なことに自分のバスプロ人生は、二足の草鞋を履いたことで大きく動きだした

そしてその課長は、後に部長となり取締役にまで昇進した。

自分は商社在社17年間、一度の転勤もなく、ずっとこの上司の部に仕えた。

(株)イマカツの原点となる現工場を紹介してくれ、エバーグリーンの社長と直接面談し、インパイアカスタムルアーズを会社の仕事としてはじめさせてくれたのも、この上司である。

商社営業マン、バスプロの二足の草鞋を履いてきた17年間。偶然の出会いが今の自分を形作ってきた。商社で過ごした17年間は自分にとって今もかけがえのない最高の財産である

その想いがあったからこそ、河野に「両方全力でやりますから、出たいです!」と迷わず言ってほしかった。

だが、それは不器用な河野には到底無理な話だったのかもしれない……。

言ってほしかった答え

アイドリングで利根川を下りながら結局、自分は自分から河野に答えてほしい答えをブチ切れて河野にいってしまった。

自分がいったらそこで終わり、河野が自ら答えてこそと思っていたが、河野との沈黙ガマン比べに到底勝てそうもなかったからだ。

ブチ切れてからの話は、目が点になった伝説の勘違い白状話や、本当のホンネで初めて河野と話をした気がする。

ただ、河野は自分の話を聞いてまず「両方、やらせてください」と即答した。

自分にガチギレされてなお、逃げずに前進してきた河野。

これこそが最も河野の才能である「鈍感力」なのだろう。

自分は河野の師でも先生でも、また上司でもない。ただ自分が経験してきたこと、自分の釣り、ありのままの姿を全て隠さず見せることでプロとしての在り方、プロとしての生き様を示すだけだ

鈍感力が爆発!

こういった過程をへて参戦した2023年開幕戦七色ダムで、河野は初日、琵琶湖以外ではTOP50レコード記録となる65cmを含む10kgに迫る驚愕のウェイトをだし、2日目、3日目も一切崩れることなく完全優勝を成し遂げた。

琵琶湖戦を除けばTOP50レコードとなる約10kgの記録的ウェイトをだした初日。そのプレッシャーを感じさせない2日目、3日目の安定したスコアメイクが「鈍感力」をもつ河野の強みだ

それは正直、自分の想像の三段斜め上をいく出来事だった。

自分が他人の優勝を初めて100%うれしいと思えた理由がここにある。

この65cmは、自分がトーナメントを断念するための最後の試合と思って出たJBTA河口湖戦で、長崎のイケス周り(当時)で「スライダーワーム」で釣った、優勝を決めた運命の1,600gフィッシュを思い出させた

今江克隆の後継者候補などという、並の若者には言葉にすることすらドン引いてしまうプレッシャーを、鈍感力の河野は今もさほど感じていないのかもしれない。

ポーカーフェイス、三つしか表情がないといわれる河野が初めて見せた第四の表情は、誰もが彼の性格の本質を知るのに十分なものだっただろう

最後にハッキリといっておこう。

今の「日本のバストーナメント」シーンで、プロとして人生を全うしたいのであれば、「釣りが上手いだけ」、「トーナメントが強いだけ」では社会的に将来、年齢相当の平均的生活すらできる可能性はない。

二足の草鞋、いや三足、四足でも履ききる覚悟と才能がなければ、日本のプロトーナメンターは絶対に大成できないと。

あまりにも劇的な開幕戦優勝。だが、それはあくまでスタートラインに立ったに過ぎない。何者でもなかった若者が、何者かになった時、見る側から見られる側へ、そこからが本当の勝負だ

ちなみに河野のウィニングパターン詳細はコチラから!

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