今江克隆のルアーニュースクラブR「バスプロ人生最終幕の始まり!」の巻 第1119回
今年のTOP50最終戦は、まさに自分のこれからのトーナメントとの向き合い方を試される結果となった。
年間ランキング35位で迎えた最終戦、本来なら次年度残留権を獲得するためにポイント安全圏内の20位を狙うことが必定だろう。
正直、プリプラの段階から残留を最大目標にすべきか、優勝、表彰台を最大目標にするか迷いがあった。
シーズン年頭に今年は結果(ランキング)を恐れず限界まで攻めること、すなわち優勝を最優先すると宣言しながら、結局、心のどこかで”残留資格”を守らねば……という自分のプライドが最後の最後まで攻めを貫けない迷いを生んでいた。
腰の引けた攻め姿勢になった最終戦結果は、総合23位、年間ランキングは初めて経験するTOP50残留資格圏外の31位となった。
この「31位」という象徴的な順位にこそ、今の自分のスタイルに対する迷いと苦悩が如実に表れていた。
スタイル、本来あるべき姿
コロナ禍で1年の開催中止後に再開された昨年、改めて自分の存在価値を証明するため、自分のスタイルを捨ててでもランキングTOP5復帰を絶対目標とした。
結果、TOP3に返り咲けたが、最終戦を除いて「記録」は残せたが何も「記憶」に残らないストレスの溜まるガマンの連続となる試合ばかりだった。
しかし、最後にランキング狙いを捨てて自分らしさに徹し切った最終戦・弥栄湖、続くオールスターKOKの強烈な刺激と成功体験は、これこそが自分の本来あるべき姿であることを呼び覚ませてくれた。
ランキング至上主義とシード権
自分はトップカテゴリー選手としてJB創設時から39年間、常に上位ランキングにいることを最大目標とし、TOP50の残留権利である30位以内はTOP選手としての最低条件と公言してきた。
しかし、60歳を目前にした今、その年間ランキング至上主義が釣りの最大の足枷になっていることに、5年前の「あの騒動」から気がついていた。
5年前、自分は初めてトップカテゴリーでの年間ランキング30位を経験した。
通常なら残留権内だが、参加選手の1名欠場からこの年のみ29位までが残留資格に最終戦の朝に変更されたことで、自分は残留権を失うことになった。
だが、上位選手に参戦辞退選手がでたことでルール通り繰り上げ29位となり、結果的に残留権利は得ることができた。
しかし、この試合直後、自分ただ1人が持つ”永久シード権”の行使に関し、ファンの間でSNS論争が起きた。
「シードは正当な権利であり、堂々と使うべき!」、「シードを使わないことこそ、今江克隆ではなかったのか? 降格してはいあがるべき!」と。
9割は肯定意見だったが、1割の否定意見は極めて辛辣だった。
このシード論争が、その後の自分のスタイルに少なからず悪影響を与え、攻めの姿勢を萎縮させていたことは間違いない。
初めて明かす、シード権に関する大いなる悩みの理由