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今江克隆のルアーニュースクラブR「ABU創業100周年!ABUと私、今江克隆のABU FOR LIFE」の巻 第1042回

連載:今江克隆のルアーニュースクラブR
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憧れが現実に!

そしてABUに憧れ始めたバスフィッシングが、中学2年の時、2年間全額貯めたお年玉でついに「5600C」を手にし、高校1年時に「2500C」を手に入れ、憧れは現実となった。

そして、その当時ダイワの単行本で見たギラギラに輝くスキーターのコックピットから手を振るラリー・ニクソン氏の姿に衝撃を受け、「バスボート」、そして「バスプロ」が自分のバスフィッシングの新たな憧れになっていく。

その強い憧れは23歳でマミヤOPを通じ、ABUのサポートを受け、バスボートを手に入れ、ABUサポートのラリーと出会い、ともに琵琶湖で釣りをし、夢は現実となり、今に至る。

ABUで釣るバス釣り

しかし、私にとってのバスフィッシングの原風景は、アメリカに始ったものではなく、スウェーデン生まれのABUで釣るバス釣りが今も変わらず私のバスフィッシングの核となっている。

高額なABUを買えず「バンタム」メインだった学生時代を経て、まさかの展開でABUプロスタッフとなったことは、自分が望んだ最高の憧れが叶った最初の瞬間だった。

シグネチャーモデルが登場

以来、バスフィッシング、そしてバスタックルに関る歴史は、革命的にアメリカ、日本を中心に劇的に進化していくが、ABUのサポートを受けて以来約34年、どんなに画期的な国産リールが誕生しようとも、不思議なことに本心からベイトリールに関してだけはABUのリール以外に興味を持ったことがない。それは、驚異的な進化をし続けるバスタックルの歴史において、自分のバスフィッシングの原風景はABUにあることを、そして少年時代の青臭い匂いを、釣り道具への純粋な憧れの気持ちを、今も絶対に身近に「バスフィッシングの心臓」として残しておきたいと思っているからに他ならない。

私とABUの関わりは、すでに30年以上になるが、プロキャリアの中でも最も誇りに思える出来事が、当時、琵琶湖でラリー・ニクソン氏が右手でも左手でも自在に桟橋左右側面に投げ分ける姿を見て自分も練習を繰り返し左右両刀遣い(DUAL DEAL)を身に付けたこと。

「巻きの右」と「撃ちの左」と、「4600C」をチューニングし琵琶湖のJBトップカテゴリーで優勝を続け、確か初のAOYを獲得した年だったろうか、ABUスウェーデンが私のシグネチャーモデルを製作してくれることになった。

初めてABU公式に自分の名前が刻印された「4600C/REALDEALとDUALDEAL」。スウェーデン本社ABU博物館にも飾られている名機だ

当時、アメリカのバスプロ・シグネチャーモデルは存在したが、日本人として初めてスウェーデン製「Ambassadeur」に名を刻むことは、手の届かない高嶺の花、ABUに憧れた少年時代から考えると想像もできなかった、この上ない名誉だった。

そして2001年には「モラムSX-ウルトラマグ」で、再びシグネチャーモデルとして名前をABUに刻むことになる。

2001年、2度目のワールドシリーズ(現TOP50)AOYを獲得し、2回目のグランドスラム達成時に生産されたモラムのシグネチャーモデル

この「モラムSX」は、後にチューニングサードパーティーZPIとの「AE74」誕生へとつながっていくことになる。

リールチューニングブームの先駆け的存在でもあるZPI製「モラムSX1600AE74」。サイドプレートのホイールデザインは、この機種からの継承である

その後、米国ピュアフィッシングに傘下になり、Abu-GarciaとなったABUは、ことあるごとに私のシグネチャーを製作してくれた。

スーパーグランドスラムと生産No.000が刻印されたモデルが記念に贈られてきた

その関係性の裏には世界最大級の釣具メーカーでもあるピュアフィッシング総裁のトム・ベデル氏との個人的関係が大きかった。

どういった訳かベデル氏に気に入られた私は、トムの米国アイオワの自宅に招かれ、クルーザーで豪遊したり、バークレイ研究所を訪問したり、初めてバスマスターマガジンの実釣グラビア取材を受けたりなど、貴重な経験をさせてもらうことになる。

そして2008年にはついにABUスウェーデンの招待で、初めて憧れのABUスウェーデン本社を訪問することになる。

ついに、ABU本社へ!

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